【キ・ソンヨンの愚行から分かる】 旭日旗を嫌う韓国人は歴史をまったく知らない

 今日はサッカーアジアカップ勝戦の日。決勝に進出した日本の相手は、大会を通してわずか1失点(対韓国戦)、しかも準決勝ではウズベキスタン戦で6人の選手で6得点を挙げるという、攻守ともに隙の無いオーストラリア。2006年ワールドカップドイツ大会を始め、3−0で快勝した2001年以来勝てていない相手で、直近4試合は2敗2分けという分の悪さ(2007年アジアカップでの勝利はPK戦で、公式には引き分け扱い)。

 さらに日本は大会2得点のエースMF香川真司選手(ドルトムント)が骨折で欠場。香川は身体的なハンデをものともせずにドイツブンデスリーガで前半MVPを取るほどの大活躍をした選手。同タイプの欧米的体格を持つオーストラリア相手に香川が出場できないというのは、普段の香川のチームへの献身以外の面でのプラス効果をも失う事となる訳で、おそらく今日の戦いは苦戦は免れないだろう。

 ただ優勝するチームには運も必要になって来る。香川の負傷は痛いが、替わりに入る選手(藤本淳吾選手の可能性が濃厚)がラッキーボーイとなって大活躍し、得点するような事にでもなれば、日本が勝利できる可能性は高まるだろう。

 本大会の日本代表は先制されるシーンが多かったが、それでも諦めず反撃し、勝利してきたという精神面での強さも出て来ている。今日の試合は手に汗を握って応援したいと思う。


 3位決定戦は、韓国が3−2でウズベキスタンに勝利したらしい。ウズベキスタンを応援していた当方的には残念。何度もウソを吐き、その度に立場を悪くしている韓国代表の差別主義者キ・ソンヨンも恥知らずにも出ていたらしいので、余計ウズベキスタンに勝ってもらいたかったねぇ。



 昨日のエントリーの続き。こんなに長い話になるとは思わなかったが、キ・ソンヨンが素直に謝っていれば鎮火していた話であって、ウソを繰り返しては自分の首を絞める韓国人のいつもの自爆の一環という感想しか持てない。会場に旭日旗が無かった事は日本のネット有志の指摘から明らかになり、ワールドカップ「日本×オランダ」戦の画像を捏造して出してまで差別主義者の擁護をしようとしたテレビ朝日も謝罪した。既成メディアよりもネットの方がまともで誤まりを糺す能力もある事を、またも証明した好例。




 実は当方には、差別主義者キ・ソンヨンが韓国人的愛国無罪を期待して最初に吐いたウソ「旭日旗を見て涙が出た」というものが、会場に旭日旗が「あった」「なかった」という事実関係以前に、そもそも解せない。


 韓国人が旭日旗を過去の日本の朝鮮半島侵略の象徴の旗とみなしている様なのだが、朝鮮半島は日本と戦争して植民地になった訳ではない。


 大韓帝国末期、首相の李完用や朝鮮最大の政党「一進会」をはじめとする100万人の朝鮮人の要望により、日本が併合したというのが歴史的事実である。自分たちの祖先が日本に「併合してください」と頼んだのに、どうして旭日旗を見て涙が出るのか? 命乞いした先祖の事が恥ずかしく、情けなかったからだろうか? それなら自らの祖先を責めるべきであって、日本を恨むのはお門違いである。恥を忍んで命乞いして生き延びた先祖たちのおかげで、現在の韓国人は生きているのだし、その行為もお門違いだと思うが。

李完用侯の心事と日韓和合」   朝鮮全権大使 李成玉 

朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福 が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ」

(引用者注:上記文献の真偽はまだ明らかではありません)


【そこで追記】
実際に日帝統治下を経験した韓国第5〜9代大統領・朴正煕元大統領の発言
金完燮 「日韓『禁断の歴史』」より引用

しかしあのとき、我々は自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。 もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。 もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。 そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。 日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セカンドベストとして私は評価もしている」

日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している


 福田赳夫元総理が訪韓した際の朴元大統領のこの発言は、石原慎太郎東京都知事を始め、当時の訪韓団のメンバーが直接本人から聞いている。朴元大統領の発言は日帝がやって来て旧支配体制を打破してくれなかったら、自分は生涯貧しい奴隷階級で終わっていたという事を熟知していたからこそ言える発言だ。彼の思うベストとは、朝鮮民族による自力の近代化だっただろうが、それは不可能事であった事も同時に見抜いていた。上下の発言を合わせると、セカンドベストこそベストだったのだ。

 朴元大統領は独裁者であったという批判もあるが、漢江の奇跡を成し遂げ、朝鮮戦争後の韓国を復興させた、おそらく朝鮮民族として最高に英邁な指導者であったと思われる。その発言の意味は重い。



 日韓併合は当時の国際法上、完全に合法の行為で、帝国主義全盛の時代、植民地獲得に血道を挙げてまい進していた欧米列強からも抗議は無く、これに抗議の声を挙げたのは朝鮮の旧宗主国清朝だけであった。1910年の日韓併合からわずか2年後には滅びる清朝が反対したのも、日清戦争で敗戦するまで中華主義冊封体制保護国にしていた自分たちの子分を日本に取られるのを嫌がっただけであって、その後の朝鮮人の運命を慮った訳では全く無い。


ウィキペディアより引用

ケンブリッジ大学国際法学者J・クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年−1918年)以降のもので当時としては問題になるものではない」としている。


 日本側にメリットの無かった併合だとまでは言わない。つまりお人よしの日本人が善意だけで朝鮮人を助けようとしての併合では無いという意味だ。そこに日本の国益があった事は紛れもない事実である。ただ伊藤博文が併合に反対していた様に、日韓併合は最後の手段として考えていた。

 当時ロシアが南下政策を取っていて、朝鮮半島も狙っていた。弱肉強食の帝国主義の時代、朝鮮半島をロシアに押さえられては、日本の安全保障上、極めて危険な事態に陥る。そうならない為に、日本はまず朝鮮が中国から独立してもらって、ロシアに対する防波堤になってくれる事を期待した。

 日清戦争終了後の下関条約の第一条に書かれているのは、台湾や遼東半島などの領土割譲でもなく(第二条、第三条)賠償金の請求でもない(第四条)。第一条には「清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する」と書かれていた。第一条に朝鮮の独立を書いた意義を考えよう。日本は何よりも先に、朝鮮の中国からの独立を求めたのである。

 そこからは当時最貧国であった朝鮮に対する領土的野望など無い事も分かる。その時に併合しようと思えばできたのにしなかった訳だから。日本はあくまでも地政学的観点から、朝鮮半島に関わらざるを得なかったのだ。


イザベラ・バード朝鮮紀行」より引用

「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている」

「路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている」


シャルル・ダレ「朝鮮事情」より

「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう」

「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」

イザベラ・バードはイギリスの旅行作家。シャルル・ダレはフランス人宣教師。日韓に利害の無い第三国、それも当時の先進国の人間からの脚色の無い証言で、一級の史料と言える(ダレは実際には朝鮮を訪れてはいない))


【併合前の朝鮮の日常の光景】



 世界最貧国というのが残された画像が証明している。


【そして暗黒の日韓併合後……】



 日帝がおカネを出しまくって近代化。併合した国や植民地にした国に対し、これほどまでに極悪な統治をした国が他にあっただろうか?(もちろん皮肉)。


 この様な最貧国を併合して近代化させる事に掛かるコストより、自力で近代化してくれる事を日本は望んだ。だが独立させてくれた日本に対して、余計な事をするなと朝鮮人が列強に抗議したハーグ密使事件(当然、欧米列強は黙殺)、他ならぬ朝鮮皇帝の高宗自身のロシアへの接近(しかも日露戦争中という物凄い裏切り行為)、安重根による伊藤博文公暗殺(後述)を経て、仕方なく併合したというのが日本の本音。併合35年間、常に日本側の持ち出しで、日本の朝鮮経営は赤字だった事からも良く分かる。植民地相手に数十年も赤字経営だったところなど、世界に類例が無い。つまりそれはヨーロッパ列強式の苛烈な搾取対象としての「植民地」として遇した訳では無く、同胞として扱った何よりの証左である。日帝は奪うどころか、近代化の為の事業のみならず、教育や医療など様々な恩恵を最貧国朝鮮に与えたのである(そもそも奪うものなど何も無かった。資源も、技術も)。

 さらに日本は併合した朝鮮や台湾に大学を作った。自国の主要都市の帝国大学である大阪帝国大学名古屋帝国大学の前に、朝鮮に京城帝国大学(現ソウル大学)、台湾に台北帝国大学(現台湾大学)がそれぞれ作られた。いずれも両国にとっては、現在でも最難関の大学である。そして5人もの朝鮮名のままの国会議員がいたという事実もすごい事だ。植民地出身者が国会議員になれたりした国が当時の列強に他にあっただろうか? インド人やオーストラリア先住民のアボリジニが英国議会に居た様なもので、およそ考えられない。


黄文雄「韓国は日本人がつくった」より引用

コレラ天然痘、ペストなどの大流行は1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲してくる疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病に よる大量の死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって 朝鮮半島の生命保全韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。


 口蹄疫禍に悩まされている現代韓国人に聞かせてあげたい。

 ちなみに朝鮮よりも15年前に同様に日本に併合された台湾(黄文雄氏の出身国ですね)は、僅か7年で黒字化に成功している。朝鮮人は35年間も赤字のまま何をしていたのだろう?



 旭日旗と韓国人の怒り、悲しみとは全く関連性が無く、云わば言い掛かり、逆切れだったという事は分かって頂けたと思う。

 今後日本代表の応援に行く日本のサポーターは、安心してもっとたくさんの旭日旗を振って、かつては大日本帝国の同胞であった韓国人たちに見せてあげて欲しい。



 韓国系アメリカ人のプロゴルファー、ミシェル・ウィーが描いた旭日旗を交えた、彼女がイメージする日本のイラスト。見ると分かるけど、ウィーは日本の漫画や文化が好きなんだということが伝わって来て微笑ましい(日本語で「幸せ」「一生懸命」と書いているのが可愛い)。それを素直に描いただけであって、政治的・思想的な背景は全く無かったはずである。邪気の無いこの行為に猛抗議して謝罪させたのが捏造歴史を信じている洗脳韓国人たち。問題はその洗脳韓国人が多過ぎる事。



 韓国人の捏造の中でも、併合に反対していた伊藤博文を暗殺した「うっかりテロリスト」の安重根を英雄扱いしているのは噴飯ものの極致だ。そのせいで朝鮮併合の反対派の重鎮が居なくなって、結果併合が早まったという事も分かっていないのだ。

 日本人を殺せば英雄になるという朝鮮人の病理を見るようだが(金九、金嬉老など)、逆に情報を知る権利も手段も無い北朝鮮では、併合を早めたという上記理由で安は評価されていない。北朝鮮の方が冷静で的を射ているのは凄い皮肉である。安の問題に限らず、幾らでも世界の客観的資料をネットで探せる韓国人が自国内の情報だけを盲信しているのは、見たい現実しか見ようとしない、北朝鮮人以上に偏狭で滑稽な愚かさしさしか感じない。


 うっかりテロリスト、安重根の全身像(笑)。3の倍数と3のつく数字の時だけアホになる訳で、伊藤博文を暗殺した時もアホになっていたのだろう、きっと。オモローな男だった事は間違いない。

 ちなみに安は両班(ヤンパン:貴族)の家柄の出身で、日記には漢字を使い明治天皇を尊敬していた。達筆な漢字の書も遺している。ハングルの優位性を説く韓国の教科書にはこんな事は書かれていないはずである。

 余談だが、李氏朝鮮末期には忘れられていた文字「ハングル」(両班は漢字を使い、白丁(ペクチョン:奴隷)はそもそも文盲だった)。そのハングルを普及させたのも、実は井上角五郎という日本人。日帝はハングルの使用を禁じたという韓国人のガセも既に論破されている。井上は「征韓論」で韓国では悪名高い福沢諭吉の弟子である。漢字を捨てた現代韓国人は、井上に深く感謝しないといけない。

 実は福沢諭吉の持論は「征韓論」では無く「脱亜論」なのだが。朝鮮人愛国者金玉均を支援したり、朝鮮からの留学生を自身の慶應義塾に受け入れたという事は日本人なら知っておきたい。ちなみに金玉均守旧派の「朝鮮の西太后閔妃の放った暗殺者に殺され、凌遅刑により死体をバラバラにして晒された。その時の惨い写真が今も残されている(リンク先は「晒し首にされた金玉均」の図。グロ画像注意)。福沢はそれを知って朝鮮を見捨て、「脱亜論」を唱えたのでは無いだろうか。



 韓国人はこういった歴史にことごとく無知だ。日本と戦争した事も無いくせに、何故旭日旗を見ると涙が出るのさ? いい加減、反日捏造教育を止めて、自らの、そして日本の功罪両面を直視したまともな歴史教育をすべきである。さもないと、第2、第3のキ・ソンヨンが続々と現れる事を防ぐ事はできないであろう。



 まだまだ書きたい事が尽きないのだけど、字数制限が心配なので今回はこの辺で。ネットを検索すれば、こういった情報はいくらでも見つかりますので、興味を持たれた方は一度調べてみて下さい。


人気ブログランキングへ
この記事が面白いと思われたら、押してください。



日韓「禁断の歴史」
日韓「禁断の歴史」
posted with amazlet at 11.02.06
金 完燮
小学館
売り上げランキング: 379002

韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO)
黄 文雄
ワック
売り上げランキング: 129756

朝鮮事情 (東洋文庫 367)
ダレ
平凡社
売り上げランキング: 499020

新版 福翁自伝 (角川ソフィア文庫)
福沢 諭吉
角川学芸出版
売り上げランキング: 59814