脈絡無く、『グランド・セフト・オート3』の感想

 『スーパーマリオコレクション スペシャルパック』の方、時間が無いなりにぼちぼち始めている。順調なペースで死にまくっているので、攻略サイトをガン見する日も近いかと思われる。……何この難易度!?  昔のゲームって、容赦無くシビアだったのねぇ……。詳述は改めて感想文を書く時にする事にするが、これは現代のヌルゲーに浸りきった当方にはかなりの苦行となりそう。とにかくWiiリモコンではとても先に進めそうに無いので、クラシックコントローラーを購入して出直すつもり(勿論セーブしたところからだけどね)。

 感想文が書けるようになるまでの間の穴埋めと言っては何なのだが、今回は『グランド・セフト・オート3』の感想文を再掲したい。時節柄などとは何の脈絡も無い上、やたら長文で恐縮なのだが、読んで頂ければ嬉しい。以前紹介したバカゲー『美神伝説Zoku』の次に【ゲームクエスト】に送った感想文で、そのゲームとしてのクオリティの差に愕然となった記憶がある(冒頭でちょっとその辺にも触れている)。


 甘茶さん の「グランド・セフト・オート3」 (プレイステーション2)
見事なかりそめの世界 教育の失敗をゲームに押し付る風潮に疑問
 甘茶さんは、GTA3の感想で、少々過激ながらもなかなか読みごたえのある長文感想です。前半はその痛快なゲーム性について、後半はゲームパッシングに対する意見に分かれています。ゲームソフトも「道具」なのですから、人間の良心でコントロールして、幸せな関係でありたいものです。

甘茶
見事なかりそめの世界 教育の失敗をゲームに押し付る風潮に疑問(2008.09.09)
 ゲームを始めてわずか数分で、この世の全てを疑った。
 このゲームはあまりにも面白過ぎるのだ。「嘘だね、こんな楽しいゲームがこの世にあるはずが無い」と思考が現実をなかなか認められなかった。だって直前にプレイしていた『美神伝説Zoku』は、あんなにもつまらなかったってのに……。そこにこの超オモロゲーとの出会いである。294円が高く思えてならなかったというのに、今は2205円(ベスト版)が安く思えてならない。
 
 盗んだ車に乗り込んで、軽快なラジオBGMを聞きながらフルスピードで街中を目的も無く疾走するだけで脳からエンドルフィンがどくどく溢れ出し、脳のシワに挟まったゴミを洗い流してくれる様な感覚。ついぞ味わった事の無い快さだ。何故にこんなに面白いのか。『Zoku』がつまらなさ過ぎた反動なのだろうか。ゲームの持つ根源的面白さ、楽しさが満載のこのゲームに一瞬で虜となってしまった。
 
 『グランド・セフト・オート3』(以下『GTA3』)は、仲間の裏切りにより銀行強盗の罪をひとり被せられ逮捕された主人公(プレイヤー)が、脱走して逃げ込んだ街「リバティーシティ」にてギャングの勢力争いに加担して、暗黒世界でのし上がって行くというのが基本的なストーリー展開だ。だが、リバティーシティ(自由な都市)の名の通り、ストーリーに沿わずに何をしても構わないのがこのゲームの楽しいところ。人を殺しまくって大悪党になる事も可能だが、「俺はタクシーの運ちゃんとして生きるぜ!!」と真面目にタクシードライバーとして客を送迎するミニゲームに興じても良いし(最初にタクシーを強奪する所が真面目とは言い難いが)、「救急隊員となって街の人々の命を救うぜ!!」と怪我人の元に、急ぐあまり無辜の市民を救急車で5〜6人轢き殺しながら(いろいろ矛盾してるが)駆けつけるのもプレイヤーの自由だ。

 勿論あまりにも目に余る犯罪には、自由な都市と言えども抑止力が働く。指名手配レベルというものがあり、犯罪行為が警察の目に触れるとレベルが上がり、主人公を逮捕しようと警官やパトカーが追いかけて来るのだ(警察で手に負えない場合はFBI、遂には軍隊まで出動して来る)。逮捕されるとお金が減り(賄賂を払うという設定。賄賂で犯罪者を釈放する警察も腐っているというのが嫌すぎる)、武器は没収、引き受けているミッション(後述)は失敗に終わるといったペナルティがあるので、迂闊に犯罪を犯すのも考えものだ。
 
 自由奔放に行動出来るとは言え、リバティーシティの広大なエリア全てに足を運ぶにはストーリーを進行しなければならない。ギャングのボスからの仕事の依頼(ミッション)を受け、仕事をクリアして行けばストーリーは進んで行く(最初はイタリア系マフィアの手下となるが、後にはジャパニーズ・ヤクザなんかも出て来て、その多彩さがなかなか楽しい)。主人公もたいがい血も涙も無い人間なのだが、ギャングのボス達がまた輪をかけて極悪非道な連中で、仕事の内容が思わず引いてしまう程に凄まじい。「死体入りの車をスクラップにして証拠隠滅して来い」とか「火炎放射器を使って対立するギャングを30人焼き殺せ」(残り人数がちゃんとカウントされる念の入りよう)とか「裁判で不利な証言をされるのを阻止する為、証人の息の根を確実に止めろ」とか……。ストーリーを進める為とはいえ、鬼の皮を被ったデビルの様な連中からの依頼を次々こなして行く主人公。ちょっとイイ感じの日本人女性「ASUKA」ですら「邪魔なパパラッチを始末して来て」とか「マフィアを9人、ちょっと殺して来なさい」とか物凄く非道な事を平然と言ってくる。悪人では無いと思ってた当方的には失恋の気分……。でも後の女王様プレイのくだりでは惚れ直したけどね。あと印象深いのがドッグフード工場の社長。邪魔者を次々と始末して死体をドッグフードに加工するという……鬼畜中の鬼畜だ。主人公は被害者の運び役と証拠隠滅に使われるだけで、直接手を汚さない点だけが辛うじて救いなのだが……。こういった非道なミッションの中に「街の男達の為にエロ本を取り返して書店に届けろ」といった、心暖まるオアシス的なミッションも幾つかあって飽きる事無く楽しめる(エロ本を盗んだ男は轢き殺すのだが)

 ギャング達の非道っぷりを列挙したが、マフィアのボスを返り討ちにして結果的にボスの情婦を奪い取ったり、街の名士を装った極悪男の金儲けの為に、直前までボスとして従っていたヤクザの若頭(ASUKAの兄、「KENJI」)を始末したりする主人公、いやプレイヤーがやっぱり一番悪党なのかも知れない(あまつさえKENJI殺害を他人に押し付け、妹のASUKAの怒りを逸らすという惚れ惚れする程のクソ極悪っぷり)。
 
 日本語訳が「偉大なる自動車泥棒その3」となる『GTA3』だけに、車の表現全般について非常に凝っている。車の激突やスピン時の制動、高所からの落下エフェクトなど、快適にプレイさせる上でのゲームがプレイヤーに吐く「良い意味でのウソ」が、現実以上のリアリティを持ってプレイヤーに迫ってくるのだ。これは楽しいよ〜♪。猛スピードで街行く他の車に激突しまくって横転、爆発させるのも実に楽しい(注釈:当方は現実社会ではゴールド免許ドライバー)。冒頭述べたが、カーラジオも聴いていて楽しい。わざわざ本物のラジオ局から使用許諾を得ているとの事で、選局も自由に出来る。ミッション中、車に乗って逃げるターゲットを同じく車で追い掛ける折、軽快なラジオ曲を聴きながら勢い余ってターゲットの車ごと海に落下した時はもう、エンドルフィン出まくり。自分も死んだが、タッチの差でターゲットが先に死に、ミッションは成功という結果に笑いが止まらなかった(注釈:当方は現実社会では以下略---)。
 
 長文になってしまいそうなので誠に恐縮だが、どうしても言っておきたい事がある。残虐なゲーム全般に対するバッシングについて、こういったゲームの愛好家として一言反論しておきたい。

 カージャックや人殺しを全面的に肯定したこの『GTA3』は、とかく良識派と言われる人達から侮蔑混じりの批判を受けている。世間一般も同調的だ。そりゃそうだろう。暴力で他人に害を成す、というかそれこそが存在意義、という無頼野郎が主人公のゲームだ。批判している側に正義があると思うのは当然だろう。理論構築する必要も無く、ただ「人を殺して楽しむなんて、人非人のする事」とか感情に訴える論調で詰(なじ)るだけで良いのだから楽だし(反論する人間も人非人扱いをする事によって、異論を封じる効果も狙っているかの様だ)。秋葉原での不幸な、許し難い事件が起こってからは殊にそういった風潮が強まっている。ただ『GTA3』をプレイした上で批判派には与しない当方が言いたいのは「これは単なるゲームですよ。日本には表現の自由がありますよ」という事だ。こう言うと良識派の中核を成すPTAの方々は必ずこう言う。「青少年に悪影響を及ぼす表現は規制されて然るべき」と。ただこのゲームの【CEROレーティング】は18歳以上が対象だ。18歳にもなって、たかがゲームごときに影響を受けて犯罪を犯す恐れがあるなんて、そんなのは人間以下の生き物を育て上げてしまった親の教育に全責任があるに決まっている。ゲームのせいにするな、と言いたい。ゲームより遥かに長期間、子供の人格形成に影響を及ぼし得る立場にある親が、自分達の教育の失敗の責任をゲームに押し付けている醜悪な行為にしか見えない。確かに年端も行かぬお子様が『GTA3』をプレイするのは問題あるかも知れない(購入者の家族には18歳未満の人もいるであろう。そういう人はプレイしちゃ駄目なんだけどね、そもそも)。人生これでオッケーとか間違った感覚を抱く可能性も無いとは言えないから。ただ「他人の車を盗んではいけない」とか「他人を殺してはいけない」とかはモーゼやキリスト、仏陀に教わる以前の人間の基本的な倫理であるからして、子供の物心がつく頃から親が自然と身に付けさせるものだと当方は思うのだけれど。子供に対し、親がしっかりとゲーム以上の影響力を持っていれば、こんな不毛な事考えるまでも無い事だと思う。

 親の教育如何に関わらず、ゲームさながらの所業を犯す精神を病んだ犯罪者も僅かながらいるが、その場合ゲームは飽くまでもトリガーの役割を果たしているに過ぎない。そういう人は残虐ゲームに出会わない人生を送ろうとも、残念ながら何処かで何かがトリガーとなり、その爆弾を爆発させてしまうのだ。ゲームの無い古代、人類創世の頃から残虐な犯罪は繰り返されているのだから。世間が考慮すべき事は、表現の自由を侵害してまで爆弾の信管を取り除く事より、爆発する火薬部分そのものの除去、若しくは不発弾化なのでは無いだろうか(人権などが絡んで非常に難しい問題だが、少なくともゲームのみを悪役にする現状は不毛でしかない)。
 
 最後に言っておくが当方は『GTA3』の反社会性までも肯定している訳では無い。表現の自由、そしてゲームというかりそめの世界での痛快感を擁護しているのである。その部分にまで侵害しない限りに於いて、残虐なゲームが眉をひそめて警戒される程度ならむしろ社会の健全な反応だと当方は思っている。憎むべきは科学的裏付けも無いままの誤ったゲーム批判、ゲーム叩きなのだが、そういった誤った風潮を世間に広めているのが新聞、テレビなどマスコミだ(「ゲーム脳」といったトンデモ説、未だに信じている人が少なからず存在する)。

 マスコミよ、事件が起こる度にゲームを主犯と断定したかの様な犯人探しを止めよ。犯罪者が「残虐なゲームの影響を受けて、現実世界でもやってみた」などと供述しても踊らされるな。バカに見えて仕方ないぞ。「そんなものは自己の責任を忌避し、行為の反省もしようとしない、単なる甘えた言い逃れだ!!」と堂々と喝破してやれ。
 
 ……一言どころでは済まなかった。超長文に恐縮。
 挑発的意味合いも込めたとはいえ、偉そうな口調になってしまった事も反省。


 いくら偉そうな事を言ってもこんな感想を抱く奴が言うと説得力の欠片も無い気がするな。前半をもっと真面目に書いてでも、後半を語りたかったという気はする。いろいろツッコミ所ある空論かも知れないけど。

 補足で、「偉大なる自動車泥棒その3」の日本語訳は誤訳。したり顔で語って大恥をかいたでござるの巻。この後に投稿した『グランド・セフト・オート バイスシティ』の感想文中で謝罪した。普通に恥ずかしかった。



 地獄の最終ミッション。これは当方も何度死んだか分からない程、高難易度のミッション。大体この動画通りにプレイしないとクリアは不可能に近い。屋敷を出る時に速い車を用意しておいたり(1分40秒辺り)、下準備万全で望まないといけない詰将棋の様なミッション。その膨大な疲労感ゆえに、エンディングは感動モノ。これは外人さんのプレイ動画なので字幕も英語だが、日本語版はちゃんと日本語で字幕が出るので心配無い。

 蛇足的に補足しておくと、ヘリで逃げる悪そうな女が、ゲーム冒頭主人公を裏切ったコロンビア女(動画の敵はコロンビア・カルテル。感想文中出て来たちょっとイイ女、ASUKAはこの組織に殺害される。)。最後に救出するのが、最初のボスから奪い取った情婦。


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